2005年4月8日(金) 晴 東京都豊島区 染井霊園、サンシャインシティ |
ここ数日、20度以上という春とは思えない気温の日が続き、染井吉野の開花が一気に進んでしまった。すでに満開を迎えた木が多いようで、残念ながら見頃が週末には重ならない。そこで、今日は早起きして出社前に近所の桜を撮ろうと思う。
染井霊園には約100本の桜が植えられている。ほとんどが染井吉野だ。(1本だけヤマザクラ系を見つけた。)
その名の通り、この霊園は染井吉野発祥の地、旧染井村の一角にある。
最近読んだ論文によれば、染井吉野は1720年から1735年の間に、染井の植木商 伊藤伊兵衛の4代目政武によって人工交配で作り出された可能性が高いという。
伊豆発見説もあるが、当時の伊豆は天領のため庶民が自由に出入りできる場所ではなく、山道もほとんどなかったため、仮にそこで自生していたとしても発見された可能性はかなり低いそうだ。
誕生した当時の江戸では八重桜の人気が高かったため、植木屋はすぐに世に出さなかったと推測されている。そのため染井吉野が世の中に出始めたのは江戸末期まで遅れる。
染井吉野が爆発的に広まった当時、その由来に関してきちんとした調査がなされなかったようで、染井交配説も残念ながら確たる証拠はないらしい。誕生から普及までの間に150年程度空いてしまったことも、その由来を春霞の向こうに覆い隠す原因の一つだ。
染井吉野の誕生秘話は、まだ歴史のロマンの中にあると言える。
染井霊園の近くに、昔は桜小路と呼ばれた500mほどの長さの道がある。
染井吉野を人工交配で作り出したという説のある伊藤家の畑とされる場所であり、昭和初期には道の両側に10本以上の桜があったという。
今でも名残の染井吉野が何本かあるが、立派なのはこれ1本だけだ。
道の両側はすでに静かな住宅街になっていて、畑や桜並木の面影はない。でも、もしかしてここで世界初の染井吉野が育成されたのかも知れないと思うと、なんだか感慨深い。
染井を離れて池袋へ。私の職場近くにも桜があり、そこからサンシャイン60が望める。枝垂桜は地面の上ではなく、人工地盤(ビルの高さで4階相当)の上に立っている。ちょっぴり可愛そうなような気もする。
重さ15Kgのカメラバッグを背負ったまま出社。昼休みにもうろうろと撮影したが、いい写真は撮れなかった。
明日からの週末が、今年の花見のピークになるだろう。
果たしてどんな桜に出会えるだろうか。
下は松屋の和定食 (↑41KB) |