大平桜。あいにくの雨で、しかも平日だというのに、ひっきりなしに見学者が訪れる。 1998.4.1--島根県三隅町 ↑ click photo(57K) |
安養寺のしだれ桜。案内板がなかったため、詳しいことは分からない。 後ろの山に霞がかかって、いい雰囲気だ。 1998.4.1--島根県美都町 ↑ click photo(37K) |
マリア堂と桜。訪れるまで私も知らなかったが、ここは悲しい歴史の埋もれた場所だった。桜が植えられたことには、鎮魂の意味があるのかも知れない。 1998.4.1--島根県津和野町 ↑ click photo(60K) |
大平桜には、さんざん道に迷った挙げ句やっと着いた。三隅町の中心街側からではなく、美都町側のいわば裏道から入ったため、立て札が充実していなかったせいもあるのだろう。
雨の平日だというのに、ひっきりなしに人が見に来る。地元の方が大半のようだ。
大平桜は、樹齢300年以上、樹高は17mあるという。彼岸桜と山桜の性質を持った珍しい桜で、日本にただ1本しかないそうだ。ほぼ満開といっていい状態だが、この雨のせいで少し散ってしまっているのが残念だ。枝先に、少し葉が出ているところが、山桜から受け継いだ性質だろう。
次に訪れたのは、美都町金谷(かねだに)の城山桜だ。元々城だったところに植えられた桜だという。
城山のふもとの駐車できる場所に着いた頃には、車の外に出たくなくなるぐらい雨が強くなっていた。しかも、見上げれば城山への道はかなり急で、足元も悪そうだ。もし転んで怪我をしたとしても、誰も見つけてくれないくらい寂しい場所でもある。
残念ながら、城山桜を見るのはあきらめることにした。帰り道から遠望すると、1本の大桜のりりしいシルエットが見えた。あれが目指す桜だったろうか。
城山からの行き帰りに、安養寺の横を通ることになる。安養寺には、形はあまり整っていないものの背の高いりっぱなしだれ桜があった。雨でびしょびしょになりながら写真を撮る。
夕方、津和野のマリア堂に着く。教会と桜のエキゾチックな雰囲気を期待していた。しかし、案内板を読んだときにそんなお気楽な花見気分はすっ飛んでしまった。
この場所には、明治初年まで光琳寺というお寺があった。ここに、153人の長崎浦上のカトリック信者が明治元年から6年まで改宗のために収容された。長崎のカトリック信者は全国各地にお預けの身となり、その一部が津和野に流されたのだ。
困難な生活と残酷な拷問の中、153人のうち54人は棄教。そして悲しいことに36人は殉教したという。
殉教者の一人、安太郎は、3尺牢(一辺が3尺(約1m)しかない立方体の牢屋のことらしい)に閉じ込められ、そこで聖母マリアの出現を見たという。
明治6年には信教の自由が宣言され、生き残った者たちは長崎に帰ることができたという。
聖母の出現を見たという出来事にちなみ、後年マリア堂がここに建てられた。
開国から信教の自由が認められるまでのほんのわずかな間に、こんなに残酷な出来事があったのだ。
ここに桜が植えられたことには、鎮魂の意味もあるのだろう。
心から殉教者の冥福を祈りたい。
津和野市街地の桜はそこここで満開だったが、マリア堂周辺は小高い場所になっているためか、4,5分咲きといったところだった。
いきなりビロウな話に変わるが、そろそろ自分の体から変なにおいがしてきたような気がする。風呂に入りたい。
今日の食事
今日の宿:中国自動車道大佐SA