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2006年11月21日(火)
ネパール・カトマンズ周辺は晴れ
ネパール サーガ村、ドゥリケル ヒマラヤホライズンホテル。+パトレケット村でさくら植樹会に参加
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1.
足止めを食ったサーガ村(Sanga)にも
桜があった。
いつバスが出発するか分からないため
桜には近づけない。
2006.11.21-ネパール サーガ村(48K)
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2.
ホテルの駐車場にも数本の桜があった。
駐車場なので、いい構図が選べなかった。
2006.11.21-ネパール ドゥリケル ヒマラヤンホライズンホテル(54K)
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旅日記
カトマンズ2日目。7:30にマイクロバスでホテルを出発し、カブレ郡パトレケット村を目指す。
今日は、ラブグリーンネパールが主催する、さくら植樹会に参加するのだ。参加者は日本人とネパール人の混成チーム計30人ほどで、日本人が半分を超えている。
時間があれば、周辺の桜名所の観光もするとのことなので、こちらも楽しみだ。
バスはアルニコハイウェイ(Arniko Rajmarg)を西へ進む。この道はやがてヒマラヤ山脈を超え、チベットまで続いている主要道だ。カトマンズ市を出るところで河原にバラックがだぁっと並んでいる様子を目にする。地方で食えない人たちが仕事を求めて集まってきて、こうしてバラックに住んでいるとのこと。これもネパールの一面だ。
バスはアルニコハイウェイを順調に進んでいたが、丸焼けのバスの横を通過した後、突然何もないところで渋滞にはまる。通訳さんが状況を調べてきてくれるとのこと。我々はサーガ村(Sanga)というところでしばらく待つ。
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私たちと同様に足止めを食っているトラック。
なかなか派手な装飾だ。
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村人が集まっているお茶屋さんもあった。でも、器はバケツにためた山水でばしゃばしゃと洗っているだけのようなので、謹んで遠慮しておく。
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写真を撮って、と頼んできた2人の子供。
表情がとても明るい。
一般に、紺色の制服は公立学校のものだそうだ。
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道路からちょっと離れた場所に桜があるのを発見。よく見るとあちこちにぽつぽつと咲いている。足止めになったおかげで、農村の桜の様子をじっくり観察することができた。
桜に近づいて写真を撮りたいところだが、あまりバスから離れると置いて行かれる可能性があるため、そうもできない。
やがて通訳さんが戻ってきた。
先ほどの丸焼けバスは、昨日起きた交通事故によるものだった。その事故で地元民3人が亡くなり、その補償額の少なさに不満を持った家族が道路にタイヤを置き、火を点けて道路を封鎖してしまったというのだ。
この行事は日本大使やネパールの大臣も出席する重要なものだ。それが住民による道路封鎖に影響されるなんて。全く運が悪い。
参加者の誰もが、植樹会への参加をあきらめかけた。
でも、通訳さんはまだ携帯電話で何度も長話を繰り返している。
その結果、30分先に出ていたもう1台のバスは、とてもラッキーなことに封鎖地点を通り抜けていたことが分かった。そこで、私たちは封鎖地点を歩いて通り、その向こう側で先に行った一台のバスに乗り換えることになった。徒歩なら抜けられるらしい。
一方、日本大使とネパールの大臣は、危険を避けるため出席を取りやめてカトマンズに戻ることになった。まあ、それはいたし方あるまい。
私たちはバスを降りて、三々五々道を歩く。ネパールの警察官の同行を期待したが、それは叶わなかった。
途中、小学生くらいの現地の男の子ビクロム君と、となんとなく一緒に歩くことになった。彼と私はたどたどしい英語で話す。
「学校は何時から?」
「10時」
(なるほど、遅い朝ごはんを食べてから登校するんだな)「でも、もう10時過ぎてるけど?」
「…3人の人が死んだんだ」
…彼は、昨日の交通事故で亡くなった方の家族かご近所さんらしい。私はそれ以上尋ねるのをやめた。彼とは学校の前で握手をして別れた。
やがてタイヤが燃やされている現場に差し掛かる。
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路上でタイヤが燃やされている。
一気に私たちの緊張も高まる。
デジカメによる隠し撮りなので、
画面が傾いてしまった。
これを見ている子供たちは何を思うだろう。
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私たちの緊張も一気に高まる。
この道路封鎖には、家族以外の村人もたくさん参加している。興奮していて、私たちに向かって何かを強く主張している村人もいるが、ネパール語なので何も理解できない。
ただ、通訳さんが事前に言っていた通り、私たち外国人に対して危害を加えたり金品を奪ったりする様子はなさそうだ。
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道路に向かって切り倒された木。
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その後、道路に向かって木を倒した後や、まさに今太い木を切り倒そうとしている場所もあり、ちょっとはらはらしながら通り過ぎる。
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こんなに太い木を道路に向かって倒してしまったら、
撤去にはとても時間がかかるだろう。
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1Kmほど歩いたところで、やっと迎えのバスがいる場所にたどり着く。みんな無事でよかった。なんだか興奮と安堵が入り混じった変な感じだ。
更にバスで20分ほどで、目的地のパトレケットに到着。そこには別の種類の興奮が待ち受けていた。
私たちが2時間くらい遅れて着いたにもかかわらず、数百人の村人がびっくりするくらい盛大な拍手と音楽で迎えてくれたのだ。
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村人が盛大に歓迎してくれた。
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伝統音楽を奏でる楽隊を先頭に、私たちは列を作って階段を上る。その両側には手に手に花の首飾りを持った生徒や村人が並び、通り過ぎる私たちに次々とかけていく。また、伝統的な布をかけてくれる生徒もいる。男子生徒も首飾りをくれる。桜の枝が入っているコサージュももらった。私たちは両手を胸の前に合わせて「ナマステー、ナマステー」と何度あいさつしたか分からない。
私は撮影機材を背負っていて普通の参加者とは違った格好をしているのにもかかわらず、階段を上りきったときには10本近くの首飾りを下げていた。首がとっても重かった(笑)。
後で聞いたら、私たちが上った土の階段は、2週間前に整備したばかりなのだそうだ。
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式典と客席の様子。
客席には村人や生徒がいっぱい。
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やがて丘の頂上で式典が始まる。いすに座っているだけで4〜50人、周囲で聞いている人も含めると2〜300人くらいはいただろうか。
通訳を交えながら、英語、日本語、そして一部ネパール語が混じる国際色豊かな式典である。主催者、地域の要人たち、日本で桜を研究しているS博士のあいさつが続く。主催者が日本から持ってきた桜の葉の塩漬け、桜の花の塩漬け、桜の花をあしらったスカーフなどを披露すると、関心を示して数人の村人が近づいてきた。おそらく、桜にまつわる産物を村で育てたいのであろう。
この村が植樹に選ばれたのは、現地の婦人会などが桜の保護に協力してくれるからだという。
日本だって桜を植えっぱなしで世話をしない自治体は多い。新しい桜を植えるばかりで、桜に世話が必要だということを知らない自治体さえある。
もしパトレケットの桜が村人の世話によって大きく成長したなら、日本の自治体もぜひ見習って欲しいものだ。
また、この桜が大きくなったら、観光地として売り出したいそうだ。そのために、丘の頂上には小さなほこらが作られている。こうした宗教関係の施設を作ると、お参りを口実にして国内の人がここを訪れやすいという。江戸時代の日本の、お伊勢参りみたいなものらしい。
素朴な階段の両側に桜が植えられている。成長したら将来は桜のトンネルになるだろう。日本にもないくらい盛大なものになりそうな気がする。
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植樹した木と、植樹を手伝ってくださった皆さん。
前列左から2人目が私。
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村人の協力をいただいて、私も階段の真ん中あたりに桜を植えた。後日、私の名前が入ったプレートも添えられるという。是非元気に成長して欲しいものだ。
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見送ってくれる生徒たち。
みんな目がキラキラ輝いている。
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さて、昼食を終えた後、カトマンズへ戻らなくてはならない。道路はまだサーガ村で閉鎖されているとのこと。仕方がないので閉鎖地点の手前でマイクロバスを降り、来た時と同様に徒歩で通過する。
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さっきの大木はもう切り倒されていた。
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さっき村人が倒そうとしていた太い木はすでに道路に向かって倒れ、すっかりふさいでしまった。直径が1.5mほどもあり、自分で乗り越えるのも一苦労だ。新たに火がつけられたタイヤも3つあった。
で、待っていたマイクロバスに乗り、これでもうカトマンズに戻れる、と安心していたら、次なる驚きが。
交通事故を起こして炎上したバスが始末できないので、路上で火をつけてしまったというのだ。しかも道路の真ん中に倒した上で。
今日はカトマンズに戻れないかも知れない、と多くの人が心配した。私も「今日はこちらで泊まりかなぁ」と覚悟を決めた。
でも、通訳さんが確認してくれた結果、なんとか通れそうだとのこと。
私たちのマイクロバスは、道路中央で炎上しているバスをかすめるようにぎりぎりで通過した。ふぅ。かなり珍しい経験ではあるが、こういうのはもうこりごりだ。
道路封鎖の関係で、桜の観光がすべてキャンセルになってしまったのも残念だ。
桜を愛する道というのも、なかなか険しい時があるものだ。
午後4時頃ホテルに戻る。精神的に疲れたし、時間が半端なので桜の撮影はせず、土産物屋が立ち並ぶNarsing Gate通りを散歩する。本当は観光の中心地ダルバール広場まで行きたかったのだけど、車がやっとすれ違えるくらいの幅しかない通りは夕方の渋滞で大混雑してきたので、しぶしぶUターンする。
アサン・チョーク近くの道端では、何ヶ所かで真っ白い豆腐を売っていて驚く。たらいに張った水に入れてある。ふーん、ネパールでも豆腐を食べるんだ。(後で分かったのだが、日本の技術協力で作られるようになったそうだ。ちなみに地元の方は冷やっこで食べるけれど、日本人は生ではおなかをこわすことがあるそうだ(笑)。)
植樹会で見た子供たちの目は日本よりも輝いていたと思う。私たちを盛大に歓迎してくれる村人もたくさんいた。
でも、一方で道路を封鎖したりする大人もいる。
この国の様々な面を少しだけ垣間見たような気がする。
食事などの価格が記載されていることがありますが、これは作成時点のものですので、お読みになっている際には変更になっている可能性もあります。
ネパールルピーは、旅行中の平均交換レート 1円≒0.59ネパールルピー(1ルピー≒1.7円)で計算しています。もちろんこのレートは刻々と変わりますのでご注意ください。
今日の食事
上左は朝食、
上右は散りかけの桜を見ながら
いただく昼食、
下左は夕食のオードブル (生野菜食べちゃった)、
下右はカレーいろいろ
(ここでももっとたくさんの料理が出ました)
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- 朝:ホテルでバイキング。やはり国情を反映してか品数は少ない。生野菜がなくて焼トマトがあるのは衛生面の配慮だろうか。トースト、ミニカップケーキ、ベーコン、ソーセージ、コーヒー、マンゴー、ヨーグルトなどをいただく。ミニクロワッサンはなかなかのお味。
- 昼:ドゥリケルにあるヒマラヤンホライズンホテルで、植樹会の皆さんとバイキングで食事。ライス、スパゲティトマトソース(日本の味に近かった)、鳥のホワイトソース煮、ゆでたじゃがいも、にんじんなどの野菜のグラッセ、フルーツカクテル、スープ、デザートなど。強いスパイスの料理が少なくて、ちょっと胃を休めることができたような気がする。
- 夕:ネパールに赴任している日本人夫妻と、ツアーの方たち、合わせて6人で楽しい夕食。カトマンズゲストハウスにあるレストランラスクスで、ネワール料理のセットディナーをいただく。前菜の盛り合わせ、カレー数種類、ヨーグルト、ミルクティーをいただいた。どの料理もおいしい。昨日のレストランよりもこちらのほうが充実していて値段も安い。
2年以上こちらで仕事をしているというIさんご夫妻から学ぶことはとても多かった。
- 今朝までの睡眠時間:
- 8時間。まだ眠い。
- 今日の昼寝:
- なし
- 今日自分で運転した車の走行距離:
- なし
- 今日の宿:
- 今日もネパール カトマンズ市のホテルマーラ(Hotel Malla)。
サービスのミネラルウォーターは2泊目からはくれないらしい。ホテルで追加を頼むと120ルピーもかかる。市内で買うと20ルピーだから6倍だ。悔しいから外で忘れずに買うようにしよう。ミネラルウォーターがないと歯磨きもできない(水道水でうがいするだけでも危険なのだそうだ)。
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ネパール カトマンズ市 在ネパール日本大使館の桜
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ネパール カトマンズ市 リングロード、ダルバールマルグ、王宮
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