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1. 2本の荘川桜。 手前が元・照蓮寺の、向こう側が元・光輪寺の桜。 2004.4.25--岐阜県荘川村 荘川桜(50K) |
2. 荘川桜のうち、光輪寺の木。 2004.4.25--岐阜県荘川村 荘川桜(73K) |
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3. 荘川桜のうち、光輪寺の花のアップ。 ガクがひょうたん型をしているのが分かる。 2004.4.25--岐阜県荘川村 荘川桜(47K) |
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4. 桜とわらぶき屋根の家。 2004.4.25--岐阜県荘川村 荘川の里(67K) |
5. 2004.4.25--岐阜県荘川村 荘川の里(51K) |
昨夜ちらついた雪は荘川桜周辺に残っていない。やはり春の雪は淡雪だったようだ。
朝8時半から撮影を再開。朝からすごい人出のため、今日も写真の構図は選びにくい。シャッターはあまり押せないので、桜の周りをゆっくり1周したりして木の様子をじっくり眺める。
枝の様子と花付は、駐車場に近い光輪寺の木のほうがよいようだ。ただ、これは年によって変化があるそうなので心に留めておかないといけない。
荘川桜の移植を押し進めた電源開発初代総裁 高碕達之助は、湖底に沈む光輪寺の老桜を訪れたときに次のような言葉を語ったという。
「進歩の名のもとに、古き姿は次第に失われていく。だが、人の力で救えるものは、なんとかしてでも残していきたい。古きものは古きがゆえに尊いのである」
そう、古きものは古きがゆえに尊いのだ。数百年生きてきた桜はもちろん、10年、20年生きてきた桜でさえ、貴重で尊いのだ。
花付が悪くなったり、つたが絡まったり、コケが生えてしまって苦しんでいる古い桜をそのまま放置している場所は全国に多い。一方で、新しい桜を植えている自治体もたくさんある。新しい公共事業を行わなくてはならない都合はあるかもしれないが、その予算をほんの少し古い桜に振り向けることによって、古い桜が見違えるように生き返ったりすることもあるのだ。98年に見た北海道のある公園の桜たちはくたびれていたが、その後毎年予算がつくようになり、5年後にはかなり元気になっていて、花付も花色も良かった。
当然のことだが、今この瞬間に、樹齢50年、100年といった桜を新たに手に入れることは困難なのである。荘川桜のような奇跡を除いて。だから、各地に残る古い桜を、少しでも大切にしてもらいたいものだと思う。
荘川桜が、同じくらいの樹齢の桜に比べてより魅力的に映るのは、移植に込められた人の思いまで伝わってくるからだと思う。自生の桜はもちろん人の手などかけられていないが、それ以外の多数の桜には、多かれ少なかれ、植樹や手入れといったなにがしかの形で人の思いが入っている。
荘川桜には、湖底に沈んだ集落の住民や、移植に力を注いだ人たちの思いも乗せて、これから末永く元気に育っていって欲しいと思う。
人出が多いためあまり落ち着いた出会いではなかったが、いつかは見たいと思っていた桜に会えて本当によかった。
お昼前、人がかなり多くなってきたのを潮に、荘川桜に別れを言い、荘川の里へ移動する。
こちらは村内の伝統的な民家が移築され集められている場所だ。桜はなかなか大きく、10年以上は経っているだろう。民家に人が住んでいるわけではないので生活感はないが、桜と民家のある日本らしい構図が見つかる。
高速バスが長野道に入るときには山梨県小仏トンネル付近で13Kmの渋滞があったが、バスが走るに連れて渋滞は小さくなり、幸いなことに調布IC手前で10分ほどのろのろ運転になった程度だった。
高速バスとレンタカーの組み合わせもなかなか便利でいいものだ。これからも機会があれば利用していきたいと思う。
下は自作の豆腐。なかなかうまかった。 (↑38KB) |