モバイラー中ちゃんの気まぐれ桜旅 title

2004年2月1日(日)
午前中は曇時々晴れ一時雨、午後から雨、時々強く降る

鹿児島県奄美大島



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1.
満開のカンヒザクラ。
2004.2.1--鹿児島県宇検村湯湾岳(99K)
2.
こんな南国で染井吉野に出会うとは思わなかった。
2004.2.1--鹿児島県宇検村湯湾岳(94K)
3.
満開の桜並木。
2004.2.1--鹿児島県大和村奄美フォレストポリス(64K)
4.
食堂のおばあちゃんに教えてもらった 峠の桜。
2004.2.1--鹿児島県宇検村(97K)
5.
西郷南洲(隆盛)お手植えの桜。
2004.2.1--鹿児島県龍郷町西郷南洲謫居地(66K)
6.
西郷隆盛の住んだ住宅と記念碑を桜が飾る。
(住宅は再建)
2004.2.1--鹿児島県龍郷町西郷南洲謫居地(54K)


旅日記

朝食を終えて外の様子を見に出たら、早くもぽつぽつと雨が落ちてきてしまった。雨の止み間を期待しながら宿を出発する。

湯湾岳の展望台駐車場(標高約470m)には数本のカンヒザクラがある。だいたいが満開で、濃い目のピンクの花を自慢げに風に揺らしている。でも2,3本はすでに葉桜になっていて、鮮やかな緑色の葉をたくさん付けている。カンヒザクラの開花時期に個性があることと、南国では高地ほど先に桜が咲くことを改めて認識する。
ここには染井吉野も植えられている。こんなに南国なのによく育つものだと感心する。私が見た中で最も南にある染井吉野だ。
今から50年ほど前、宇検の青年活動で植えた桜なのだそうだ。幼木も見られるから、以降補植も行なわれているらしい。私は50年経ったと思われる老木には出会えなかった。私の探し方が悪いのか、あるいは染井の南限に近いためそれほど成長が良くないのだろうか。
後で染井吉野について教えてくれた村の人は、「染井吉野は平地から山へ向かって咲くんですよ」と珍しそうに語っていた。なるほど、カンヒと違って染井は本州と同じ咲き方をするらしい。貴重な情報を得た。
山の上から下へと咲いていくカンヒザクラを見慣れている奄美の人には、染井の咲き方は不思議に思えるのだろう。

カーブミラーが少ない山道をおっかなびっくりで走り、峠の向こうにある大和村の奄美フォレストポリスへ。
芝生広場(標高約280m)の近くにカンヒザクラの並木が作られている。私が見る限り20本以上はあり、どの木もほぼ満開だ。
太陽がほとんど顔を出さず、冷たい風が吹き付けるせいか、お花見をしている人は誰もいない。
水辺の広場にも桜並木があると案内図に書いてあったが、まだ幼木で、咲き具合も良くなかった。芝生広場にもまだ幼木に近いものが多いので、どちらも数年後に期待したい。

フォレストポリスを出発するころ、とうとう雨が本格的に降り出した。宇検村に戻って村内の桜を見たり、昼寝をしたり、昼ごはんを食べたり、100円ショップで傘を買ったりした後、午後3時過ぎに龍郷町の西郷南洲謫居地へ。
ここは西郷南洲(隆盛)が薩摩藩主から島流しにあった場所だ。島の名門の血を引く娘愛加那と結婚しこの場所に引っ越したが、その翌日に召喚状が到着し、ここでの生活はわずか2ヶ月だったという(奄美大島での生活は3年という)。西郷は鹿児島に戻り、その後長男菊次郎と長女菊草は相次いで鹿児島の西郷本家に引き取られた。一人残された愛加那は西郷や子供たちに再び会いたいという願いもかなわず、65歳でこの世を去った。菊次郎は成長して京都市長を務めたという。
ここには西郷お手植えの桜がある。ここに住んだのは文久元年(1861)後半から2年1月までというから、桜の年齢は142歳くらいということになる。植えられた場所の条件が良くなかったのか、沖縄大宜味村にあった百年木のような巨木にはなっていない。高さは4,5mといったところか。ただ、木肌はかなり荒れていて、年齢を感じさせる。
西郷の妻愛加那は、この桜を見ながら一人の寂しさを紛らしていたのかも知れない。

今回の旅の天気は1勝1敗といったところだ。暖冬のせいで開花が遅れていたのが残念でならない。この島は山がちのため、山の上と下では咲き具合がかなり違うことが分かった。次回は是非、平地の桜が見ごろを迎えているときに訪れてみたい。


今日の食事
上は手作り感覚いっぱいのお弁当、
下はうまい鶏飯
(↑48KB)

今朝までの睡眠時間:
7時間半。南国のせいかベッドに毛布がなくて少し寒く、寝つきが悪かった。まだ睡眠不足気味。

今日の昼寝:
今日もまた、レンタカーで走っている最中にどうしても眠くなって、島の西の端に近い今里漁港に車を止めて30分。目覚めたらヘッドライトが点きっぱなしであせったが、エンジンはなんとかかかってくれた。去年福井県でもライトを点けたまま昼寝をしてしまったことがある。眠いと注意力が鈍ってしまうものだ。
奄美から鹿児島に行く機内では、航路が短いのと気流が悪いせいで、シートベルトのサインがずっと消えなかった。機内サービスもないしノートパソコンも取り出しにくい雰囲気だったので、することがなくて30分の昼寝。

今日のフライト:
JAS958便奄美大島17:55発、鹿児島18:45着(この便の機材もエンジン不具合で知られるMD81)と、JAS582便鹿児島19:40発、羽田21:15着(少し遅れ、機材はエアバス300-600R)。
帰りも奄美−羽田直行便を取りたかったが、何度センターに問い合わせてもマイレージで予約できる枠は空かず、仕方なく鹿児島−羽田で特典航空券の権利を使い、奄美−鹿児島は自腹で買った。特典航空券の嬉しさも半減である。
奄美大島空港で自動発券機にクレジットカードを通したところ、またもや受け付けてもらえなかった。やはりカードの磁気が弱くなっているようだ。先週の羽田空港では何度やってもカードが読み取れず、近くに窮状を訴えるべき職員もおらず1便乗り遅れるという事態に至ったが、今回はすぐ横に発券カウンターがあったので事なきを得る。(いや、最終便だから是が非でも乗らなくてはならない。)
鹿児島では乗り継ぎ待ちの間、友人からもらったラウンジ券を使ってラウンジに入り、ノートパソコンを使ってホームページを作る。友人に感謝。

今日のレンタカーでの走行距離:
156Km。

今日の宿:
東京の自宅。


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