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1. 2000.11.12--東京都足立区 江北北部緑道公園(52K) |
2. 2000.11.12--東京都足立区 江北北部緑道公園(71K) |
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3. この光景だけ切り取ると、春が来たみたいだ。 2000.11.12--東京都足立区 江北北部緑道公園(52K) |
江北北部緑道公園は南北約2Kmの細長い公園だ。ここには約105本のジュウガツザクラがあると聞いた。花期は10月下旬から11月下旬頃。11月に入った頃が一番花が多いという。これだけたくさんのジュウガツザクラが1ヶ所に植えられているのは珍しいので、期待しながら訪ねてみた。
本当は昨日のほうが天気が良くて桜日和だったのだが、仕事の関係で自宅待機をしなくてはならず、昨日は自宅の窓から青空を見上げながらパソコンの前に座っていた。自分の休日に食い込む仕事はちょっと辛い。
JR日暮里駅前から乗ったバスを江北2丁目バス停で下車し、徒歩7,8分で公園の南の始点に到着。100mほど手前から桜が咲いているのが見え、うれしくなると同時に気持ちが急く。
緑道公園の南の始点は谷在家公園と鹿浜第一小学校のすぐそばだ。ここにある4,5本のジュウガツザクラはかなり多くの花を付けていて、ここだけスポットライトが当たっているかのような明るい雰囲気だ。
春のソメイヨシノに例えれば4,5分咲きといった感じで多少寂しくも思えるが、秋のジュウガツザクラとしてはかなり花付きがいいほうだと思う。
薄ピンク色の花が、ちょっと冷たい風に揺れている。
公園には、「ワシントンからの里帰り桜」という説明板が立っていた。それによれば、明治時代の江北一帯は桜の名所であり、米国ワシントンのポトマック河畔にも贈られたが、江北の桜は堤防工事や公害の影響で衰退してしまった。昭和56年に区政50周年を記念してワシントンから35種約3000本の桜の里帰りを図り、この公園にも植えた、ということだ。
後から聞いた話では、今日咲いていたジュウガツザクラも里帰り桜の1つだそうだ。
ここで言う江北の桜とは、荒川堤の桜も含むのだと思う。荒川堤の桜は、元の江北村から、元の西新井村までの区間に植えられていたそうである。
荒川堤の桜は、明治に入って荒廃した大名屋敷や寺社などに取り残された優れた桜の品種を、堤防工事に合わせて篤志家たちが植えたものだ。明治後半に見頃を迎えたが、堤防上が国道に指定されたこともあり、車の巻き上げる砂ぼこりなどで桜が衰えてしまった。また、堤防の改修も行なわれ、桜が次第に切られていってしまったのだ。
確かに、明治後期と現在の地図を見比べると、堤防の形や位置が変わっていることが分かる。
ただ、荒川堤の桜が全く日本に残らなかったかというとそうではない。衰えていく荒川堤の桜を惜しむ人たちの努力で、その一部は周辺の桜園などに保存され、現代に伝えられている。
荒川堤への桜の植樹がなかったら、我々が目にする明治以前の品種はもっと少なかっただろう。
荒川堤の桜は衰退し、ポトマック河畔の桜が世界的に有名になったのは、歴史の妙といったところだろうか。
あるいは、戦前の日本が軍国主義に走り、桜の保護のために人的資源や資金を割けなかったツケとも言えるかも知れない。
今回は行けなかったが、現在の荒川堤周辺にも桜が植樹されていて、少しずつ増えているそうである。いつか訪ねてみたいものだ。
緑道公園の真上を高圧電線が通っているので、電線の経路の土地を有効活用して公園を作ったようにも思える。細長い公園というのは珍しいと思うが、時々鉄塔の敷地や直交する道路が公園を分断していて、多少歩きづらい。
30分ほどかけて、公園を終点まで歩き通したが、結局桜がよく咲いていたのは始点付近と中央部の1ヶ所だけだ。他のジュウガツザクラは、両手で数えられるくらいの花しか付けていなかった。
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今日の宿:東京の自宅。